モーツァルト-2


ようやく6才になるかならないかのヴォルフィとやはり当時天才ピアニストの誉れ高い姉ナンネルは、父レオポルトのお膳立て通り、両親と共にヨーロッパ中の主な宮廷でのお披露目ツァーに繰り出します。
まずザルツブルグから一番近い大都市、そうミュンヘンのマクシミリアン選帝侯の前での御前演奏を皮切りにウィーン、ドイツ、ベルギー、パリ、そしてドーバー海峡を渡り、ロンドンまで。
まさにグランドツァーでした。

その中でも有名なエピソードのあるウィーンでの御前演奏。
今は世界文化遺産となっているシェーンブルン宮殿の「鏡の間」で行われたヴォルフィ達の演奏は、女帝マリア・テレジアを始め、皇子、
皇女、そして一族の貴族たちの心を虜にします。
喜びのあまり、ヴォルフィはマリア・テレジアの膝の上にポーンと飛び乗り彼女にキスの雨を降らせます。
後日ヴォルフィとナンネルは、マリア・テレジアから大礼服(儀式の時に着る服)を贈られるという
とてつもない栄誉を授かります。
そして更に有名なエピソードは演奏後、彼は一族の子供達と夢中になって遊びますが、
床の上に滑って転んでしまいます。
この時彼に優しく手を差し伸べたのが、マリア・アントニア。
そう、あのマリー・アントワネットです。
ヴォルフィは「僕のお嫁さんにしてあげる」と、いったそうですが、もしもこの二人が後に恋に落ちていたら、あんな悲劇は起こらなかったのでは…。
まあ あれこれ無理な想像をするのはやめましょう。

さらに、父レオポルトの年俸の倍近くの礼金が支払われます。
もうこうなると、息子達の才能を疑うすべもなく、このステージパパは大張り切りでヨーロッパ各国を旅します。
現代のようにYouTubeでもあれば話は楽なのですが、この時代は自分から出向いて行かなければなりませんでした。

私たちから見れば苦労の多い事だったと思いますが、ヴォルフィは後に父レオポルトにこんな手紙を送っています。
「旅をしない音楽家は不幸です。 芸術家は旅で自分の感性を磨かなくてはなりません」
確かに旅をすると、物事の見方や考え方にも柔軟性や多様性が出てきますね。
ヴォルフィは、きっと子供の時ですら旅を作曲や演奏に反映させていたのでしょう。 
やはり  天才ですね〜。

ところが彼は自分の才能に溺れることなく常に「努力の人」でした。
「僕は天才ではない。  必死に努力をしたから今の僕があるんだ」こう友人のプフベルクにあてた手紙に書かれています。
ヴォルフィの手紙をまとめた「Mozarts  Brief」(モーツァルトの手紙)を読むと、彼がいかに物事をポジティブにとらえ、そして常に自分を信じる人だったかという事がわかります。

さて、きょうのお喋りはこのくらいにしましょう。
えっ?スィーツの話がないじゃない、ですって?
失礼いたしました。

ヴォルフィ8歳(1764年)の時、ロンドンで、時のイギリス国王ジョージ3世の前で御前演奏をし、多大な賞賛を受けます。

当時ロンドンではホット・チョコレートが大流行していてヴォルフィ達も御多分にもれず、やみつきになります。
ヴォルフィとナンネルが小さな手でカップをかかえてフーフー冷ましながら目をクリクリさせて飲む姿は
さぞかし可愛らしかったことでしょう。

ウィーンではホットチョコレート(ハイセ・ショコラーデ)は今でもカフェの人気メニューのひとつ。
カップに好みのチョコレートを細かく刻んでいれ、そこへ熱々の牛乳を注げば  ハイ出来上がり!

その上に泡立てた生クリームを絞り出せば、気分はもうウィーンのカフェ・ハウス
一度お試し下さい。

ではまた。