こんにちは。今回はモーツァルトの最終回です。
どうぞ お付き合い下さい。
子供の頃は「神童」と、もてはやされていたヴォルフィも、大人になればただの人…
という訳では無いのですが、人の心は移ろいやすく、子供の頃のような熱狂的な賞賛を浴びなくなります。 でもそんなことはものともせず、 ポジティブなヴォルフィは
「賛美や非難などは全く気にしない。自分の心に従うだけ。 宝物は自分の心の中にある」と22才の時に父に当てた「モーツァルトの手紙」にそうしたためています。
「宝物」と言うのはもちろん、怒濤のように溢れ出る彼の音楽。
彼の音楽は、苦悩の末に生まれたものではなく、次から次へとメロディーが溢れ出てくるので、五線紙に書き留めるのがさぞかし大変だったことと思います。
時には妻コンスタンツェとお喋りをしながら。また友人たちとビリヤードをしながら…と
どんな時でもメロディーが彼の頭の中に渦巻いていたのでしょう。
なにせ30年間 の作曲人生において、きちんと五線譜に残っているものだけでも700曲近くありますのでそのスピードたるや推して知るべしですね。
「天才とは1%のひらめきと、99%の努力」と言うトーマス・エジソンの名言
がありますが、まさにモーツァルトのための言葉ですね。
お話は変わりますが、昨今の異常気象は世界中をこれでもかと言う
くらい震撼させていますね。そこでヴォルフィの時代はどうだったのでしょう? ちょっとタイムスリップしてみましょう。
1783年6月8日にアイスランドのラキ火山が大爆発を起こし、大量の二酸化硫黄ガスが
ヨーロッパ全土に広がり、呼吸器系で多くの人々が亡くなりました。その後は大寒波に見舞わ
れ1万人近くの死者が出たとあります。
因みに同年6月17日に生まれたヴォルフィの長男、ライムント・レオポルドも1783年に亡くなっていますので、原因は分かりませんが、
多かれ少なかれその影響をうけていたかもしれません。
異常気象が起きると戦争や内戦が起こるといいますが、この大寒波が押し寄せた時に、
フランス革命がおこりました。 寒さと飢えも手伝って、民衆の怒りが頂点に達したのでしょう。
話が大幅にそれてしまいましたが、今回のテーマ、「アマデウスとサリエリのミステリー」。 劇や映画にもなるくらい、サリエリに嫌疑がかかっていますが皆さんはどう思われますか?
子供の頃から虚弱だったヴォルフィにとって この異常気象は耐え難いものだったのかと思います。おまけに 彼が亡くなる 1791年12月のウィーンは極寒で連鎖球菌性咽頭炎が流行し、彼もそれに感染した上に腎合併症も併発。そして死に至ったと最近になってアムステルダム大の研究チームが結論づけています。
別にサリエリを擁護するつもりはありませんが、現在ウィーンが「音楽の都」と
言われているのも実はこのサリエリ の大きな貢献があってのことです。
こうなると、皆様にも アントニオ・サリエリを少しご紹介したいと思いますので
又次回にお付き合い下さい。
今日はモーツァルト最終回ですので 彼が好きだったリンゴのコンポートの作り方を
ご紹介いたします。彼が食べていたのは、焼きリンゴに近いものだったのですが、
ここでは まあ、一般的なものをご紹介します。
🍎🍎 Apfelkompott 🍎🍎
紅玉リンゴ 3ケ
グラニュー糖 300g ( 紅玉の甘さによって加減して下さい)
水 700cc
レモンの皮(有機)
1)リンゴは皮を剥き、芯をくり抜き レモン汁をかけておく
2)できればホーロー鍋にグラニュー糖と水を入れて火にかけて、グラニュー糖が溶けたら
1)のりんごとレモンの皮を入れて20~25分 汁をリンゴにかけながら弱火で煮ます。
リンゴが透き通るようになったら出来上がりです。
あまり煮過ぎますと、亀裂が入ってしまいますのでご用心!
3)2)の粗熱が取れたらパイレックス等の容器に入れ替えて、完全に冷まします。
冷蔵庫で冷やして保存して下さい。
いただく時に、お好みでブランデーをチョットたらすと大人のデザートに早変わり。
では お茶の時間にしましょう。
今回のお茶のお供の音楽は、
モーツァルトのモテット 、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」はいかがでしょう?
では また。
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