Erinerrungen. 想い出3

ご自宅でのプライベートレッスンの初日に シルマン先生からひとつの取り決めがありました。
「   私が将来 いなくなっても  私の家族とずっとコンタクトを取り続けて欲しい。
そうすれば 君は生涯 私のことを忘れないだろうから」   というものでした。

  なんだか胸が詰まってしまうような言葉でした。

さてレッスンが始まり  まずは「 新年の幸運を呼ぶ豚」。

そしてうさぎ、犬、ネコ…と次々と先生の大きな手から生まれるマジックに、 ひたすら
感嘆の声をあげ続ける私でしたが  、いざ自分が作る段になると惨憺たるもの。

それでも先生は 辛抱強く 無器用な私に付き合って下さいましたが、先生の持病を考えると
長いレッスンは禁物でした。

そんな日々が続いたある日、私は先生から驚きの事実を聞かされました。
「数年前に 偶然バーゼルを旅行していた日本人青年が、私のマジパンに大変興味を持ってくれ、
日本で出版会社と交渉するからレシピと写真を預かりたい。」というもの。この申し出を受けた先生でしたが、その後は連絡も無く、教えられた住所に連絡を取ってもなしのつぶてだったそうです。

よくある レシピ泥棒 というものですが、聞いているうちに同じ日本人として
本当に恥ずかしくなり ました。

と、同時に同じ日本人なのに 私の願いを快く引き受けてくれた先生の心の広さに
  感服しました。

     私がシルマン先生の作品に惹かれたのは 技術はもちろんのこと、その人柄が作品に反映されていたからだったのでしょう。

    先生の最後の弟子(常にそう呼ばれていました)である事に誇りを持って、これからもマジパンの世界を多くの方々に
知っていただけたら…と思います。

最後に… その2年後のイースターに シルマン先生は亡くなりましたが、30年以上経った今でも ご家族との交流は続いています。