サリエリ

今回はモーツァルトの死後、とんだとばっちりを受けてしまったサリエリのおはなしです。サリエリは、北イタリアのレニャーゴという小さな町で
裕福な商人の息子として生まれます。もともと音楽の才能に恵まれ、家族も大の音楽好きという恵まれた環境にそだちましたが、彼が14歳の時に、父親は事業に失敗。  音楽どころではなくなってしまいます。が!そんな彼を神は見捨てませんでした。
当時ウィーンの宮廷音楽家であるフローリアン・レオポルド・ガスマンとヴェネツィアで運命的な出会いをしたサリエリは、彼の弟子 兼アシスタントとしてウィーンへの切符を手にします。
「そんな偶然ってあるの?」と、思われますよね。   当時ベネツィアはハプスブルグ家の統治下にあったため、ガスマンが訪れていたのも特別なことではなかったようです。     それにしても、サリエリは、ラッキーでしたね。
でもここで彼がウィーンへ行かなければ、モーツァルトとは…まあそんな話はやめましょう。
時計の針は戻せませんから…。

品行方正で勉強熱心なサリエリは、音楽に精通しているマリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世の覚えもよく、
ガスマンの死後、超スピード出世で宮廷楽長の座につきます。   弱冠24歳の若さで。
ヨーゼフ2世は彼の曲を好んでいましたが、これも彼にとっては嬉しいような悲しいような…。
何せヨーゼフ2世好みの曲を作るのですから痛し痒しと言うところでしょうか。
そんな彼ですから才能豊かで自由奔放なモーツァルトをさぞかし羨ましく思った事でしょうが、モーツァルトにしてみればサリエリの曲は
取るに足らない音楽と思っていたようです。

皆さんサリエリの曲ってお聴きになったことがありますか?
そう、確かに今ひとつなんですよね。

ところが彼には 素晴らしい才能がありました。
後世に残る才能ある作曲家達…シューベルトに始まり、ベートーヴェン、リスト、ツェルニーなどが、彼の教えを受けました。
中でも苦学生には無償で教えていたとも言われています。  できた人物ですね。

そうそう弟子のひとりでチェコ生まれのイグナーツ・モシュレスのことを忘れていました。
あまりお聞きになったことはないかと思いますが、ピアノ専攻者にとっては彼の「24の練習曲」は必須です。

その彼に晩年サリエリは「私はモーツァルトを殺してはいない!」と告白したものですから、騒ぎは輪をかけて大きくなりました。
この頃のサリエリは、かなり精神を病んでいましたし、おまけに終生ドイツ語が不得意だったので、何ともお気の毒さまとしか言いようがありません。
でもサリエリのウィーンでの音楽に対する貢献度は数知れません。
その一つ、ウィーン楽友協会も彼の助力も手伝って成り立ったと言っても過言ではありません。  そして何と何と、モーツァルトの息子、
クサーヴァも彼の教えを受けました。

結局、彼もモーツァルトも、才能の差こそあれ、純粋に心から音楽を愛する真の芸術家だったのです。
色々謎の多い二人ですが、まだまだこのお話から目が離せそうにありませんが、
サリエリ先生にはまたご登場頂きますので今回はこの辺で。

今回のスィーツは、レモンが大好きだったサリエリを偲んでバニラ風味のクリームの中にレモンのクリームを絞り出した、
アティ オリジナルの「ビーナスの乳首」です

ではまた。