ウィーンも最近はモダンに変身してしまい、ノスタルジーを求めてウィーンを旅する人達は、そのあまりの変貌ぶりに失望させられることもしばしばです。
でもそんな中でも古さを全く感じさせないのが、そう、モーツァルトの音楽。
街がどんなに変わろうとも、彼の曲はBGMよろしくどんな街並みにもマッチしてしまう不思議さがあります。
彼の曲…特にヴァイオリンとオーボエの曲は右脳の活性化に良いそうですので
音楽を通じて私達に何かを語りかけているのかもしれません。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト …通称ヴォルフィー。
1756年 にオーストリアのザルツブルグに 生まれます。
ザルツブルグは「城壁で囲まれた塩の町」と言う意味で、ヨーロッパの数多くの小都市の中でもその美しさは特筆すべきものがあり、ユネスコの文化遺産にも
登録されているほどです。
「ザルツ=塩」の名の通り、南に15kmほど離れたバート・デュルンベルグで産出しされたた岩塩をザルツァッハ(ザルツ川)を通ってヨーロッパ中に輸出していました。
その名残りか,今でもお土産に塩を買い求める旅行者が少なくありません。
ごめんなさい、話がだいぶそれてしまいました。
ザルツブルグの宮廷音楽家であったモーツァルトの父、レオポルトは
モーツァルトの類い稀な才能に着眼し、
彼の稀有の楽才を世 に広げようとステージパパよろしくアマデウスと共にヨーロッパ
各国を旅し、宮廷で大喝采を浴びました。この初めてのお披露目公演旅行はミュンヘン。
そしてこの時アマデウスはわずか6才。ただレオポルドのセールスが少々行き過ぎていたため 、ヴォルフィは 後にマリア・テレジアからうとまれ ウィーンでの活動が思うようにいかなかった…という説もあります。
まあよくある話ですね。
当時の交通手段はもちろん馬車。 小さい子にとってはかなり過酷な旅だったことでしょう。
35年の生涯の内、約3分の1は演奏旅行に費やしたかと思うと、旅好きな私でも気が
遠くなります。
どちらかというと体が弱く、特に胃腸が弱かったというアマデウスは
成人してからも母にリンゴのコンポートの作り方を旅先から
尋ねていました。 もちろん手紙で…
「リンゴが赤くなるとお医者が青くなる」の諺にもあるように
ヨーロッパの人々は薬代わりにリンゴを食べて健康を
維持するところがあります。
さあ、ケーキも焼き上がったようですので
ここでちょっとティータイムにしませんか?
もちろんリンゴのケーキです。
熱いですから火傷をしないように召し上がれ!
次回は次の演奏旅行地 ウィーンでの御前演奏 のエピソードから
お話しします。
ではまた。
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